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愛のセレンディピティ

仕事と人生の転機にまつわるセレンディピティ

2021年7月20日

1.仕事と人生の転機にまつわる
セレンディピティ現象

ひとつの出来事をきっかけに思わぬ幸運を掴んだセレンディピティ的な体験談を、「仕事」と「恋愛と結婚」という人生の2つの局面に分け、複数ご紹介します。冒頭の少し長めの手記は、中京地域にお住まいの30代女性から寄せられたものです。
※本文中に登場する個人名などは全て仮名です。

エンストが取り持ったご縁?!

友原璃歌子さん(仮名)・34歳・愛知県名古屋市

昨年、念願の再就職が叶い、再びスーツを着て働けるようになりました。そのきっかけとなった不思議なご縁の糸について書かせていただきます。体験した当初は「これぞ、まさにシンクロニシティ!」という思いでしたが、後で知人に話したところ、「それ、シンクロニシティっていうよりもセレンディピティに近いんじゃないのかな?」と言われました。

当時の私は、夜になると田んぼで鳴くウシガエルの声しか聞こえないような辺鄙な田舎に住んでいたため、毎日の暮らしには車が不可欠でした。しかし、あいにくその時は愛車の軽を車検に出していたため、代わりに同居していた弟のスクーターを借りて最寄りのコンビニへ出掛けたのです。まあ、「最寄り」と言っても、小さい山を越えて6㎞も先にある市街地の店だったんですが…。

時期は旧盆休みの夕暮れ近く。午後4時を過ぎてもまだ日差しが厳しくて、日焼けを避けるためにUVカットの重装備に身を包みました。それで蝉時雨が降り注ぐ炎天下の田舎道を走っていたのですが、途中の急勾配の坂でいきなり単車が減速し始めちゃって…。

「えっ、まさかエンスト?!」

そのまま力尽きたようにエンジンが停まり、あとはテコでも動かなくなりました。
車の整備に詳しい弟は、あいにく名古屋へ出ていて明日まで留守。もちろん私には、エンジントラブルを自分で直す技術や知識はありません。すでに半分以上も走ってしまった道のりを、重いスクーターを押してトボトボ帰る我が身を想像して、軽いめまいに襲われました。

「顔見知りのご近所さんの軽トラでも通りかからないかな…」

そんな虫の良い考えが頭をよぎったのですが、あいにく路上には車影も人影も皆無。こんなことでJAFを呼ぶのも大げさ過ぎるので、とりあえず炎熱地獄を避けるための場所を探しました。
不幸中の幸いと言いますか、スクーターがエンストを起こした路上は木陰が多い公園のすぐそばでした。そこは小さな神社の境内とつながっている猫の額ほどのスペースで、周りの雑木林が日差しを遮るので真夏でも比較的涼しい所なんです。おまけに座って休めるベンチもあるし、「たしか、ジュースの自販機もあったはず!」と、さっそく死んだ単車を押しながら向かいました。

公園のベンチには先客らしき人影がありました。黒いサンバイザーにロンググローブ、おまけに特大マスクというこちらの出で立ちを見てその人はぎょっとしたらしく一瞬、腰を浮かせていました。

「あ、ごめんなさい。ただの日焼け除けですから」
「あ、そうか。そうですよね。女性は気になりますもんね」

その初老男性、白いワイシャツにネクタイ姿という一見してサラリーマン風の方で、集落内では1度も見たことがない顔でした。それで(お盆休みに帰省してきた来た人かな…?)なんてぼんやり考えていたら、向こうは私の姿に驚いたことが恥ずかしかったのか、それをカバーするかのように自分から盛んに話し掛けてきました。

私、妙に馴れ馴れしいオジサンはそれだけでNGなので、すぐに別の日陰を探そうと思ったのですが、何事かに困っているような雰囲気も窺えたので、そのまま我慢して隣に座り続けました。
あらためて思い返してみると、ちょうどその頃、開運なんとかというタイトルのちょっと怪しい自己啓発本を読んでいたことも少し影響していたかもしれません。その本の中に「陰徳を積むと運気が上がる」なんてことが書いてあって、自分も試しに実践してみるか、と本気で考えていた時期なので…。とにかく席を立たずにそのまま居続けたことが文字通り、私の人生の転機となったわけです。

「いきなり伺って大変失礼なんですけれど、この辺にお住まいですか?」
「はい、ここから3㎞ほど先…ほら、あの小さい丘みたいな山を越えた辺りに住んでます」
「それじゃ、このすぐ近くにある中島という家はご存知ですか?」
「ごめんなさい。知りません」
「そうですか。地元の農家の方?」
「いえ、違うんですけれど、色々と事情がありまして。引っ越してきてからまだ間がないもので…」

そもそも私がド田舎に引っ込んだ理由は、ひとえに経済的な理由に拠るものでした。新卒入社以来ずっと精勤していた会社がいきなり倒産し、次の勤め先も決まらないまま放り出されることになっちゃったんです。その後は半年近くも再就職に奔走したのですが、京阪圏までエリアを広げても思うような成果は得られませんでした。

後は野となれ山となれっていう感じで、自暴自棄な自己逃避を続けるようになっちゃって…。今さら派遣の身分になるのも辛いので、しばらく名古屋市内の実家に身を寄せてアルバイト勤めを続けていました。でも、その実家もすでに兄夫婦が跡を継いでいるため長くは居づらくて…。それでアルバイトの雇用期限が切れたのを機に、今度は僻地の中学で教師をしているすぐ下の弟の借り家に転がり込んでいたのです。ですから有り体に言えば、田舎暮らしの無職ヒッキーというのが当時の私の実情でした。

もちろんその人には、そんな恥ずかしい身の上は一切話しませんでした。でも、こちらの冴えない気配をそれとなく察したのか、初老男性は急に優しい笑顔を浮かべ、わざわざ自販機からお茶を買ってきてくれました。

「あ、そんなお気遣いなく!」
「いや、良いんですよ。その代わり、ほんの少しだけ話し相手になってくださいね。じつは私、本当に途方に暮れちゃってましてね」
「どうかされたんですか?」
「以前、姉貴夫婦がこの土地に住んでいたはずなんですが…」

ご当人の名前は加藤さん。長らく疎遠になっていたお姉さんを訪ねて、はるばる名古屋市内から車を運転してやってきたのですが、住所だけを頼りにようやくその家を見つけたものの、そこはすでに空き屋状態だったそうです。

「この春、母が九十五で大往生を遂げましてね、その時に姉の連絡先が分からずじまいで結局、死に目も看取らせることができず、葬式にさえ呼んでやれなかったんです…。ところが最近、母の遺品を整理していたら偶然、かなり前に姉から来たハガキを見つけましてね、それを頼りにはるばるやって来たと言う次第で…」

そう言って空を仰いだ加藤さんはしばらく沈黙した後、今度はお姉さんと疎遠になった理由を話してくれました。

「もう40年も前のことなんですが、姉の結婚にウチの親父が猛反対したんです。それで当人は思い余って、相手の男と駆け落ちする形になっちゃって、そのまま絶縁というわけです。この親父っていうのはとんでもない頑固者で、死ぬまで姉貴を許さなかったんですが、姉貴の方もその血を継いだのかこれもまた一向に折れなくて…。結局、音信不通が続いたまま、気がついたら弟の私も白髪頭になっていました」
「そうだったんですか。でも、役場へ行けば何か分かるかもしれないし、最後は興信所とか調査のプロに頼むという手もありますよね」
「ええ、そうですね。時間と金が掛かるかもしれないが、ここまで来たんだからとことんやってみますよ」

そんな感じでしんみりと会話を続けているうちに、私はふと思いつくことがありました。

「あの、もし良かったらここの地区長さんの家へ案内しましょうか?その中島さんについて何か知っているかもしれませんから」
「ああ、そうか!ガックリきちゃって思いつかなかったが、そりゃ良い考えだ!教えてくれて、ありがたいです!」

善は急げというわけで、それからすぐに加藤さんの車に同乗して、地区長の家へ行きました。折良く当人が在宅していたので、中島家の事情について聞くことができました。

地区長の話によると、中島さんとその奥さん(加藤さんの姉)は40年近く前に集落へ引っ越してきて、以来ずっと専業農家を続けていたそうです。しかし一昨年、旦那さんの持病が悪化して思うように働けなくなって廃業。夫婦共に歳もそれなりですからこれを機にと自宅を引き払い、高齢者用の施設に移ったのが前年の春、とのことでした。生き別れの姉の所在が分かった加藤さんは大喜びで、すぐにその施設に電話を掛けていました。

別れ際、どうしてもと言われたのでスマホの電話番号と弟の借り家の住所を伝え、いったん一緒に公園前の路上まで戻ってから彼の車を見送りました。正直に言うと、「お礼に何か美味しいモノでも送ってくれるかな~♪」なんて不純な期待を抱いていたのですが、実際に加藤さんが私にくれたのは想像もできないようなビッグボーナスでした。

数日後、さっそく加藤さんから連絡が来たのですが、無事にお姉さんと再会できたという嬉しい報告の後で、思いかげない言葉が飛び出しました。

「あの、もしかしたらと思ってお訊きするんですが、あなたのお父さん、喜ぶに久しい夫と書いて喜久夫(キクオ)さんとおっしゃるんじゃないですか?」
「ええっ、ど、どうして私の父の名前を?!」
「ああ、やっぱりそうだったのか…。お父さん、国立の▲▲大学の経済学部のご出身ですよね。ご実家は名古屋の◆◆区の××町で…」

全て言われた通りでした。電話口で驚愕していると、加藤さんは深いため息を吐いて話を続けました。

「最初にあなたを見た時にね、ああ、こりゃ自分の昔の知り合いにやけに似た顔の女性だな、と思ったんですよ。それで別れ際にお名前を伺ったら、これまた同じ苗字というわけで。さすがにちょっと気味が悪くなったんで、その時はそれ以上、聞けなかったんですが…」

何と、私の父と加藤さんは同じ大学の学部の同窓生だったのです!しかも一時はかなり親しい間柄で、学内外でつるんで遊んだり、共に連れ立って貧乏旅行などもしていた仲だったと。

「卒業後は私、就職先の関係で東京やら北海道やら転々とした時期が長かったもんで、友原君とはいつの間にか疎遠になっちゃったんですが、まさかこんな形でその娘さんとお会いするなんて…。世の中っていうのは広いようで狭いもんですね。こういうのを仏の縁って言うんでしょうかね」

このことがきっかけで、加藤さんは私の父と再会。また、2人の旧交が温まるにつれて、長女の私の身の上も少しずつあちらに知られることとなりました。
そんな加藤さんから、「もし良かったら、斡旋したい就職先があるんですが、どうでしょうか?」と打診されたのが昨年の1月のことです。お会いして詳しいお話を伺ったところ、そこは投資系の金融機関で長年のキャリアを積んできた加藤さんが一時期、役員として出向していた会社だったのですが、前職でのキャリアを十分に活かせる職種であることが分かり、一も二もなく口利きをお願いしました。

そして現在、私は再び名古屋へ戻り、新しい職場で働くことができています。こんな雇用不安の世の中で、勤務期間にブランクがある三十路過ぎの女が再び正社員の身分になれるなんて、我ながら夢のような話です。加藤さんご自身はもちろん、彼と巡り合わせてくれた不思議なご縁の糸に心の底から感謝しています。

なお、あの時のスクーターは弟に頼んで譲ってもらいました。さすがに通勤には使っていませんが、私にとってはかけがえのないラッキーアイテムなので、休みの日には必ずピカピカに磨いています。今でも時々エンジン不調になるのですが、そのうちにメンテナンスの勉強をして大事に乗り続けていこうと心に決めています。

ニコール霊能者の先生からのコメント

セレンディピティという考え方は、自己啓発本やスピリチュアル本などを通してかなり一般に普及しているようです。最近では、鑑定を申し込まれたお客様からもこの現象について聞かれる機会が多くなりました。

シンクロニシティと言いますと、善悪や幸運不運といった区別なく、通常では考えられないような偶然の一致が起きるわけですが、これに対してセレンディピティはもっぱら幸運や開運、あるいは低迷した現状を打開する貴重なヒントに結びつくような出来事が生起します。

一霊能者としての私見では、いずれの現象においても何らかの霊的な力が作用して起きることが多く、とくに後者では善霊的な存在の関与が見出せるケースが目立ちます。つまり、私共の言葉に言い換えれば「神様やご先祖様、あるいは過去世の良き因果のお導き」ということになるわけです。

今回ご紹介したケースに関しても、やはり上記のような法則性が当てはまっていました。手記の内容を足掛かりに遠隔霊視を行ってみたところ、この不思議な出来事の裏には友原家のご先祖筋の働きがあったのです。
この手記の報告者と加藤さんという男性との出会いを考えると、そこにはシンクロニシティとセレンディピティの要素が微妙に混在していることが分かります。

①まず本人が移り住んだ土地が昔、駆け落ちをした加藤さんのお姉さんが暮らしていた地域と同一であったこと
②加藤さんがお姉さんの住所を偶然知って、40年振りに会いに出掛けたこと
③さらにその同じ日、璃歌子さんが乗っていたスクーターが、加藤さんの休んでいた公園の近くで急にエンストを起こしたこと

報告者の体験はこれらの全ての出来事が偶発的に積み重なった結果の産物で、逆にこれをドラマなどの脚本に仕立てたら、筋書きとして不自然な印象を与えてしまうほどです。このように奇跡的な確率で意味のある出来事が生じる場合、そこには十中八九、霊的な存在の関与が認められます。

遠隔霊視中には友原家の先祖霊団とその先祖が信仰していた阿弥陀如来のイメージ、さらに加藤家の先祖筋など様々な存在の動きが垣間見えましたが、中でもとくに強く見えたのは、和服を上手に着こなした落ち着いた雰囲気の老女の霊体でした。後日、その容姿などを璃歌子さんに確認すると、「たぶんそれ、5年前に亡くなった父方の祖母です!」とおっしゃっていました。

このお祖母さんという方は生前、数多くいる孫の中でもとくに璃歌子さんを溺愛し、病院で亡くなる直前にも「死んでもずっとアンタのことを見守っているよ」と言い残したそうです。
加えて璃歌子さんのお父さんが学生だった時分には、若き日の加藤さんがちょくちょく友原家へ遊びに来ていたという事実も判明しました。つまり、生前のお祖母さんと加藤さんは現実に顔見知りでもあったわけです。その頃、加藤さんが遊びに来ると、親元を離れて下宿生活をする彼のために毎回、家庭的な手料理でもてなしてあげていたそうで、今回は「あの頃の恩を少し返してね」とばかりに、霊界のお祖母さんが働きかけていたのかもしれません。

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